31 Mar 2000
伏見町の裏長屋の一軒。半畳ほどの三和土(たたき)に座り込み、金床の上で新しい手裏剣を叩いて調整しながら、コギリは、池田からの帰り道での、坂上の言葉を思い出していた。二人は御所忍びの戎(えびす)次郎衛門から得た情報で、池田の木羽田倭兵衛の屋敷を探ったが、その帰り道に、他ならぬ御所忍びたちの襲撃を受けた。御所忍び達とは盟友という訳ではないものの、理不尽な仕打ちである。
坂上は、自分たちの知らぬ間に、朝廷の方針が変わったのかもしれないと言う。そして、仮にそうだとしても、それは、坂上の元へいちいち知らせたりしないのだとも。一旦誰かに命を下しておきながら、情勢が変われば、別の者に以前と相反する命を下し、先の者には何一つ伝えない。それが殿上人というものらしい。とはいえ、他ならぬ朝廷の手の者に襲われるというのは、池田に出かけたことと何らかの関係があるのかもしれない。大阪でおとなしくしていたなら命まで狙われるようなことはなかったのだろうから。
ともあれ、朝廷の後ろ盾を失えば、今後は奉行所に便宜を図ってもらうこともできず、暮らし向きの金さえ自分たちで調達しなければならない。二人は池田から戻ると早速奉行所を出て、犬万の口利きで大工の棟梁弥七を通じて、この長屋に転がり込んだ。そして坂上は風水見の芝垣逍遙斎(しょうようさい)、コギリはその侍者の御酒松(みきまつ)と名を変え、とりあえず朝廷や御所忍び達との関わりを断つことにしたのである。
コギリは、朝廷から坂上に下されていた命令について、詳しく聞くことができた。それによれば、かつて島原の乱において天草四郎時貞の下で戦った切支丹の漁師がいた。その男は、天草軍が敗れた際に、切支丹の最高位にある羅馬(ローマ)教皇が、信者救済のために密かに遣わした南蛮船に拾われた。そして長い月日をかけて欧州へ渡り、教皇庁にたどり着いたのだ。男はそのまま切支丹の僧となり、穏やかな信仰の日々を送っていた。だが、ある日、教皇から一通の親書を手渡された。鎖国禁教の囲みを破って再び日本に戻り、朝廷に届けるよう命じられたのである。親書の内容は、異端の錬金術師、サンゼルマン伯爵に関する、一種の警告であった。サンゼルマンは、数百年もの長い間、欧州各地で邪法を用いて民衆を扇動し、教会や国王の支配からの離脱と、新国家樹立をはかって暗躍してきた。切支丹教会はサンゼルマンを欧州から放逐したが、彼はその後新大陸を経て、この国を目指したというのだ。教皇が切支丹を禁じ、信者を弾圧する国になぜそんな警告を発したのかは定かではない。切支丹信者がサンゼルマンの一味と思われるのを防ぎたかったのか、日本が邪教の国となることを危惧したか。いずれにせよ、親書を読んだ霊元上皇は、坂上に対し、国内でのサンゼルマン一味の足取りを探らせるとともに、彼らが行ったと思しき怪異、異変を調べあげ、朝廷の威光を以てこれを鎮めよと命じたのである。
朝廷は、サンゼルマンの錬金の邪法に対抗するため、上皇自らが比叡山の僧霊空光謙に作らせた「十句観音経」を用いるよう命じた。十句観音経は邪法を能く封じるはずであった。が、坂上と共にこの探索に関わった者たちは、その経を唱えたにもかかわらず、手もなく異人の術にはまり、次々命を落とした。坂上は、そもそもこの経に、錬金の邪法を打ち破る霊験があるわけではないと気がついた。あくまで自力で異人を討ち果たし、その際にこの経を唱え見せることで、霊験のあらたかさと、朝廷と比叡山の権威を天下に知らしめよと言うことなのだと。
コギリはたずねた。
「では、十句観音経に妖術を打ち破る霊験はないのでございますか」
「少なくとも、今まではない。そもそもが偽経(ぎきょう)だからなあ」
「しかし、私が異人の術で動きを封じられた時も、坂上様は経を唱えて術を打ち破っておられましたが」
「我慢だ。術に陥りそうになるのを何とか辛抱したに過ぎぬ。もしかすると、こちらが動じない様子に、異人の精神統一が乱れたのかも知れぬが」
コギリが奇妙な異人達の首魁であるという、サンゼルマンの名を聞いたのは初めてだったが、予想以上にやっかいな相手らしく、一方自分たちの情況はいたって心許ない。
さらに坂上は金がないという。コギリにとっては、それ以上雇うことができないと言われたに等しかった。が、坂上は金を工面する工夫があるので、コギリに手伝ってくれるように頼んだ。自分への報酬を自分で稼ぐというのは、金で動く忍び集団で生きてきたコギリにとっては何とも奇妙な提案だったが、面白いと思った。実際仕事を終えても、何のかんのと理由を付けては支払いを渋る者は多い。そういう者に比べれば、多少奇妙でも、全ての事情を隠さず話してくれた坂上になら、もうしばらくついて行っても良いような気がしたのである。
坂上とのやりとりを思い出しながら、コギリは先ほどから金床で調整をくれていた手裏剣を帯に刺した。池田探索の際に野鍛冶をしながら打ったもので、形は苦内に似ているがずっと細く、握りの頭には指が引っかかるように溝が切ってある。コギリは懐に手を差し込むと、帯に刺した手裏剣の頭を指の先に引っかけて引き抜き、そのまま手を繰り出して放った。手裏剣は指先でくるりと回って切っ先から飛んで行き、壁に立掛けておいた薪にコツンと突き立った。
普通の手裏剣であれば取り出して、構えて、投げる、というように動作が多い。コギリは、懐から引き抜く動作で、そのまま投げられる手裏剣を考えていたのだが、まだ打ち込みが浅かった。形が決まってないのか、修練が必要なのか、とにかくまだ実戦には使えない。
坂上の話が本当だとすれば、再び御所忍びと戦わなくてならないことになるかもしれない。コギリは、同じ相手と二度戦ったことはない。忍びに限らず武芸の技の多くは、相手が知らないから通じるので、手の内を知られた相手と繰り返し戦うことなど想定されていない。こちらの手の内を知り、おそらく工夫をしてくる相手に対するには、まだ見せたことのない技が必要であり、そのための手裏剣作りと修練であった。
さて、二人が偽名で長屋住まいを始めた頃、薬種問屋の扶桑屋(ふそうや)宋衛門の店では、不思議な騒動が起こっていた。夜半になると誰もいないはずの庭や廊下で、黒衣に狐面の人影が何度も目撃され、見ている者の前で、突然現れたり消えたりした。中でも一番の被害を被ったのは扶桑屋のお内儀である。ある夜手洗いに立った際に、やはり狐面が庭に現れ、掌の中で青白い狐火を作って、お内儀に向けて飛ばし、狐火はお内儀の胸元ですっと消えた。てっきり体の中に狐火が入ったと思いこんだお内儀は、気を失い、熱を出してそのまま床についてしまったのである。
薬種問屋という仕事柄、主人の宋衛門は多くの医者を知っていたが、その誰に診てもらってもお内儀の病状は芳しくならない。さらに、お内儀がそんな有様だというのに、相変わらず毎晩のように狐が現れるので、夕方少しでも暗くなると、手代から女中まで気もそぞろで仕事が手に着かない。番頭は毎晩郭(くるわ)に出かけ、馴染みの花魁のところに潜り込んで明るくなるまで帰ってこないし、ようやく躾けができてきた丁稚たちも、揃って寝小便をするようになってしまった。
そんなある日のこと、医者とも人相見ともつかない儒者風のいでたちの男が、荷物持ちを連れて扶桑屋にずかずか上がり込んできた。坂上が扮する逍遙斎と、コギリが扮する従者の御酒松である。坂上は店の者が声を掛けても返事もせずに、奥をじっと睨みつけていたが、突然口を開いた。
「狐であろう」
店の者たちは、その場に凍り付いた。また、居合わせた客たちも、店の者達のただならぬ様子に、怪訝な表情を浮かべた。さすがに番頭だけは
「お客様、どのような御用か存じませんが、他のお客様の迷惑になります。」
と、その場を繕ろおうとしたが、坂上はそれに構わず、他の客も聞こえる大声で
「狐で難儀しているであろうと言っておる」と呼ばわった。
そこへ、扶桑屋宋衛門本人が飛び出してきた。日頃はおかしな客をあしらい慣れている番頭が立ち往生しているのを見て、二度三度と頭を下げながら、
「とにかく、とにかくこちらへ」
と奥へ案内しようとした。
「蔵に仕舞ってある肉桂の匂いに惹かれて入り込んだのだ」
主人の招きが聞こえないのか、坂上はそういうと懐から矢立と鬱金(うこん)で黄色く染めた誓紙を取り出し、一気に絵とも文字ともつかない文様を書き付け、
「これを、辰巳(たつみ)の方角の柱に貼っておくが良い。今晩から狐は出なくなる」
と言って出て行こうとする。宋衛門は大あわてで裾にすがりついた。
「か、家内が、まだ奥で。狐火を胸に受けて伏せっております!」
お内儀は眠っていた。が、眉間にはしわが寄り、目尻はつり上がり、絶えず瞼の裏がピクピクと動いている。こうしている間も、夢にうなされているのだろう。
「狐が体に入ったわけではないが、遠方から気を飛ばして、お内儀の気の弱りに乗じて体を操っていると見える。薬石に千金を投じ華陀の技を駆使しても回復はおぼつかぬが、とはいえ強い祟りではない」
坂上は大仰な所作で合掌した。
「どれ、ひとつ散らして進ぜよう」
坂上は、儒服の袂から菩提樹の実を長々と連ねた一具の数珠をぞろりと取り出すと、十句観音経を唱え始め、それに合わせてコギリがカチンカチンと木鐘(もくしょう)を打ち鳴らし始めた。すると、血走った目を見開き、布団を跳ね上げて、お内儀がピョコンと跳ね起きた。そして焦点の定まらない目で口を半開きにして、その場にしばらく立ちつくしていたが、次第に木鐘の音に合わせて、ピクリ、ピクリと動き始めた。
女房のただならぬ様子に、宋衛門は声を掛けに近づいたが、坂上に手で制された。坂上は、大きく抑揚をつけながら徐々に経の唱え方を早めていった。お内儀のピクリピクリは、徐々に手踊りのようになり、そのうち髪振り乱し跳びはねるという、狐踊りの様相を呈してきた。坂上の経に合わせて、木鐘が速くなるにつれて、内儀の跳ね踊りも速くなってゆく。坂上はふと経を止め、しばらく内儀の狂態をそのままにしていたが、突然大声で一喝すると、内儀の目の前で大きな音を立てて柏手をひとつ打った。するとお内儀は、体を痙攣させてその場に崩れ落ち、やがて荒かった息が治まるにつれて表情も穏やかになり、静かに寝息を立て始めた。
「これで一安心だ。が、この家には辰巳の方角に痛みがあるな。そういう油断は風水のほころびをこしらえる。狐はそこから侵入したのであろう。護符の効き目があるうちに、吉日を選んで普請をいたすがよかろう」
「あ、あ、ありがとうございます。あ、あの..」
「おう、わしの名か、芝垣逍遙斎。八卦と風水と観相を少々やっておる。ま、願人坊主(がんにゃんぼうす)のようなものじゃ。では、これにて」
と言って立ち上がる。
「えっ、どちらへ...。あ、ああ、こ、困ります。お帰りになられては困ります。しばし当家でおくつろぎを」
「もてなしは無用。人と会わねばならぬ」
と、ずいずいと歩き出してしまう。主は手代に言いつけて懐紙に包んだものを持ってこさせて、坂上に捧げた。
「これは?」
「せめてもの御礼でございます」
「無用と申したはず。というより受け取れぬ。本日は八臂那多(はっぴなった)次郎神君の忌日にて、獣を害してはならぬのだが、火急のこととて狐を成敗した。無かったことにしたいのだが、礼を受けてしまっては因果が生じる」
主と手代をひきずるように従えたまま廊下を戻り、
「邪魔をした」
と一声して立ち去ってしまった。宋衛門は、黄色い護符を握ったまま店の板間に座り込んいた。
その夜、犬万に連れられて、印袢纏を羽織った屈強な町人が二人を訪ねていた。男の名は弥七。二人の住まいを世話した伏見町の大工の棟梁である。弥七は、日頃若い者の前などでは滅多に下げたことのない頭を深々と頭を下げて言った。
「手前どもは代々、扶桑屋はんの普請を受けてまいりました。つい一昨年亡くなられた先代の大旦那はんも、病の床やというのに、大雨が来て商売ものの鹿茸(ろくじょう)や人参が水浸しにでもなったらあかん。お前の裁量でいつでも普請を始めなさいとおっしゃっていただいてましたが、当代の宋衛門はんになってからというもの、しわいと申しますか、なかなか普請をしはりまへん。手前共でも、屋根を見て、いよいよ雨漏りがひどくなってきたので、これはいくらなんでもそろそろやろということで、このたび紀州へ材木を手配してしまいました。というのに、扶桑屋はんは、いくら手前共が普請を申し上げても、曖昧な返事をするばかりで。それで困りはてて、犬万の旦那に話をしましたところ、風水師の芝垣様に相談するよう、そして、首尾良く普請を請け負ったら、必ず厚く御礼をするようにとのことでした。半信半疑ではございましたが、今日、扶桑屋はんのお使いが来やはりまして...」
弥七は、そこで急に声をひそめた。
「その、何でも夜半に狐が飛び回って悪さをしたとか...」
そういいながら一度コギリの顔をうかがったが、何の反応もないので、かぶりを振って坂上に向き直り、懐に手を入れた。
「ともあれ、この度屋根の総替えいう、大きな普請を受けることができました。これは御礼にございます」
弥七は懐から、切り餅と言われる小判二十五両を懐紙に包んだものを二つ、並べて床の上に置いて坂上のほうへ押しやり、もう一度頭を下げ、そのまま帰って行った。
坂上は
「乾殿、このたびは助かりました。これはありがたく」
と言いながら切り餅を目の上に押しいただいた。犬万は、笑いながら、
「扶桑屋のためにも、かえってええことや思います。ま、これでもう狐はコン、いうことでございまんなあ」
坂上は、自分たちの知らぬ間に、朝廷の方針が変わったのかもしれないと言う。そして、仮にそうだとしても、それは、坂上の元へいちいち知らせたりしないのだとも。一旦誰かに命を下しておきながら、情勢が変われば、別の者に以前と相反する命を下し、先の者には何一つ伝えない。それが殿上人というものらしい。とはいえ、他ならぬ朝廷の手の者に襲われるというのは、池田に出かけたことと何らかの関係があるのかもしれない。大阪でおとなしくしていたなら命まで狙われるようなことはなかったのだろうから。
ともあれ、朝廷の後ろ盾を失えば、今後は奉行所に便宜を図ってもらうこともできず、暮らし向きの金さえ自分たちで調達しなければならない。二人は池田から戻ると早速奉行所を出て、犬万の口利きで大工の棟梁弥七を通じて、この長屋に転がり込んだ。そして坂上は風水見の芝垣逍遙斎(しょうようさい)、コギリはその侍者の御酒松(みきまつ)と名を変え、とりあえず朝廷や御所忍び達との関わりを断つことにしたのである。
コギリは、朝廷から坂上に下されていた命令について、詳しく聞くことができた。それによれば、かつて島原の乱において天草四郎時貞の下で戦った切支丹の漁師がいた。その男は、天草軍が敗れた際に、切支丹の最高位にある羅馬(ローマ)教皇が、信者救済のために密かに遣わした南蛮船に拾われた。そして長い月日をかけて欧州へ渡り、教皇庁にたどり着いたのだ。男はそのまま切支丹の僧となり、穏やかな信仰の日々を送っていた。だが、ある日、教皇から一通の親書を手渡された。鎖国禁教の囲みを破って再び日本に戻り、朝廷に届けるよう命じられたのである。親書の内容は、異端の錬金術師、サンゼルマン伯爵に関する、一種の警告であった。サンゼルマンは、数百年もの長い間、欧州各地で邪法を用いて民衆を扇動し、教会や国王の支配からの離脱と、新国家樹立をはかって暗躍してきた。切支丹教会はサンゼルマンを欧州から放逐したが、彼はその後新大陸を経て、この国を目指したというのだ。教皇が切支丹を禁じ、信者を弾圧する国になぜそんな警告を発したのかは定かではない。切支丹信者がサンゼルマンの一味と思われるのを防ぎたかったのか、日本が邪教の国となることを危惧したか。いずれにせよ、親書を読んだ霊元上皇は、坂上に対し、国内でのサンゼルマン一味の足取りを探らせるとともに、彼らが行ったと思しき怪異、異変を調べあげ、朝廷の威光を以てこれを鎮めよと命じたのである。
朝廷は、サンゼルマンの錬金の邪法に対抗するため、上皇自らが比叡山の僧霊空光謙に作らせた「十句観音経」を用いるよう命じた。十句観音経は邪法を能く封じるはずであった。が、坂上と共にこの探索に関わった者たちは、その経を唱えたにもかかわらず、手もなく異人の術にはまり、次々命を落とした。坂上は、そもそもこの経に、錬金の邪法を打ち破る霊験があるわけではないと気がついた。あくまで自力で異人を討ち果たし、その際にこの経を唱え見せることで、霊験のあらたかさと、朝廷と比叡山の権威を天下に知らしめよと言うことなのだと。
コギリはたずねた。
「では、十句観音経に妖術を打ち破る霊験はないのでございますか」
「少なくとも、今まではない。そもそもが偽経(ぎきょう)だからなあ」
「しかし、私が異人の術で動きを封じられた時も、坂上様は経を唱えて術を打ち破っておられましたが」
「我慢だ。術に陥りそうになるのを何とか辛抱したに過ぎぬ。もしかすると、こちらが動じない様子に、異人の精神統一が乱れたのかも知れぬが」
コギリが奇妙な異人達の首魁であるという、サンゼルマンの名を聞いたのは初めてだったが、予想以上にやっかいな相手らしく、一方自分たちの情況はいたって心許ない。
さらに坂上は金がないという。コギリにとっては、それ以上雇うことができないと言われたに等しかった。が、坂上は金を工面する工夫があるので、コギリに手伝ってくれるように頼んだ。自分への報酬を自分で稼ぐというのは、金で動く忍び集団で生きてきたコギリにとっては何とも奇妙な提案だったが、面白いと思った。実際仕事を終えても、何のかんのと理由を付けては支払いを渋る者は多い。そういう者に比べれば、多少奇妙でも、全ての事情を隠さず話してくれた坂上になら、もうしばらくついて行っても良いような気がしたのである。
坂上とのやりとりを思い出しながら、コギリは先ほどから金床で調整をくれていた手裏剣を帯に刺した。池田探索の際に野鍛冶をしながら打ったもので、形は苦内に似ているがずっと細く、握りの頭には指が引っかかるように溝が切ってある。コギリは懐に手を差し込むと、帯に刺した手裏剣の頭を指の先に引っかけて引き抜き、そのまま手を繰り出して放った。手裏剣は指先でくるりと回って切っ先から飛んで行き、壁に立掛けておいた薪にコツンと突き立った。
普通の手裏剣であれば取り出して、構えて、投げる、というように動作が多い。コギリは、懐から引き抜く動作で、そのまま投げられる手裏剣を考えていたのだが、まだ打ち込みが浅かった。形が決まってないのか、修練が必要なのか、とにかくまだ実戦には使えない。
坂上の話が本当だとすれば、再び御所忍びと戦わなくてならないことになるかもしれない。コギリは、同じ相手と二度戦ったことはない。忍びに限らず武芸の技の多くは、相手が知らないから通じるので、手の内を知られた相手と繰り返し戦うことなど想定されていない。こちらの手の内を知り、おそらく工夫をしてくる相手に対するには、まだ見せたことのない技が必要であり、そのための手裏剣作りと修練であった。
さて、二人が偽名で長屋住まいを始めた頃、薬種問屋の扶桑屋(ふそうや)宋衛門の店では、不思議な騒動が起こっていた。夜半になると誰もいないはずの庭や廊下で、黒衣に狐面の人影が何度も目撃され、見ている者の前で、突然現れたり消えたりした。中でも一番の被害を被ったのは扶桑屋のお内儀である。ある夜手洗いに立った際に、やはり狐面が庭に現れ、掌の中で青白い狐火を作って、お内儀に向けて飛ばし、狐火はお内儀の胸元ですっと消えた。てっきり体の中に狐火が入ったと思いこんだお内儀は、気を失い、熱を出してそのまま床についてしまったのである。
薬種問屋という仕事柄、主人の宋衛門は多くの医者を知っていたが、その誰に診てもらってもお内儀の病状は芳しくならない。さらに、お内儀がそんな有様だというのに、相変わらず毎晩のように狐が現れるので、夕方少しでも暗くなると、手代から女中まで気もそぞろで仕事が手に着かない。番頭は毎晩郭(くるわ)に出かけ、馴染みの花魁のところに潜り込んで明るくなるまで帰ってこないし、ようやく躾けができてきた丁稚たちも、揃って寝小便をするようになってしまった。
そんなある日のこと、医者とも人相見ともつかない儒者風のいでたちの男が、荷物持ちを連れて扶桑屋にずかずか上がり込んできた。坂上が扮する逍遙斎と、コギリが扮する従者の御酒松である。坂上は店の者が声を掛けても返事もせずに、奥をじっと睨みつけていたが、突然口を開いた。
「狐であろう」
店の者たちは、その場に凍り付いた。また、居合わせた客たちも、店の者達のただならぬ様子に、怪訝な表情を浮かべた。さすがに番頭だけは
「お客様、どのような御用か存じませんが、他のお客様の迷惑になります。」
と、その場を繕ろおうとしたが、坂上はそれに構わず、他の客も聞こえる大声で
「狐で難儀しているであろうと言っておる」と呼ばわった。
そこへ、扶桑屋宋衛門本人が飛び出してきた。日頃はおかしな客をあしらい慣れている番頭が立ち往生しているのを見て、二度三度と頭を下げながら、
「とにかく、とにかくこちらへ」
と奥へ案内しようとした。
「蔵に仕舞ってある肉桂の匂いに惹かれて入り込んだのだ」
主人の招きが聞こえないのか、坂上はそういうと懐から矢立と鬱金(うこん)で黄色く染めた誓紙を取り出し、一気に絵とも文字ともつかない文様を書き付け、
「これを、辰巳(たつみ)の方角の柱に貼っておくが良い。今晩から狐は出なくなる」
と言って出て行こうとする。宋衛門は大あわてで裾にすがりついた。
「か、家内が、まだ奥で。狐火を胸に受けて伏せっております!」
お内儀は眠っていた。が、眉間にはしわが寄り、目尻はつり上がり、絶えず瞼の裏がピクピクと動いている。こうしている間も、夢にうなされているのだろう。
「狐が体に入ったわけではないが、遠方から気を飛ばして、お内儀の気の弱りに乗じて体を操っていると見える。薬石に千金を投じ華陀の技を駆使しても回復はおぼつかぬが、とはいえ強い祟りではない」
坂上は大仰な所作で合掌した。
「どれ、ひとつ散らして進ぜよう」
坂上は、儒服の袂から菩提樹の実を長々と連ねた一具の数珠をぞろりと取り出すと、十句観音経を唱え始め、それに合わせてコギリがカチンカチンと木鐘(もくしょう)を打ち鳴らし始めた。すると、血走った目を見開き、布団を跳ね上げて、お内儀がピョコンと跳ね起きた。そして焦点の定まらない目で口を半開きにして、その場にしばらく立ちつくしていたが、次第に木鐘の音に合わせて、ピクリ、ピクリと動き始めた。
女房のただならぬ様子に、宋衛門は声を掛けに近づいたが、坂上に手で制された。坂上は、大きく抑揚をつけながら徐々に経の唱え方を早めていった。お内儀のピクリピクリは、徐々に手踊りのようになり、そのうち髪振り乱し跳びはねるという、狐踊りの様相を呈してきた。坂上の経に合わせて、木鐘が速くなるにつれて、内儀の跳ね踊りも速くなってゆく。坂上はふと経を止め、しばらく内儀の狂態をそのままにしていたが、突然大声で一喝すると、内儀の目の前で大きな音を立てて柏手をひとつ打った。するとお内儀は、体を痙攣させてその場に崩れ落ち、やがて荒かった息が治まるにつれて表情も穏やかになり、静かに寝息を立て始めた。
「これで一安心だ。が、この家には辰巳の方角に痛みがあるな。そういう油断は風水のほころびをこしらえる。狐はそこから侵入したのであろう。護符の効き目があるうちに、吉日を選んで普請をいたすがよかろう」
「あ、あ、ありがとうございます。あ、あの..」
「おう、わしの名か、芝垣逍遙斎。八卦と風水と観相を少々やっておる。ま、願人坊主(がんにゃんぼうす)のようなものじゃ。では、これにて」
と言って立ち上がる。
「えっ、どちらへ...。あ、ああ、こ、困ります。お帰りになられては困ります。しばし当家でおくつろぎを」
「もてなしは無用。人と会わねばならぬ」
と、ずいずいと歩き出してしまう。主は手代に言いつけて懐紙に包んだものを持ってこさせて、坂上に捧げた。
「これは?」
「せめてもの御礼でございます」
「無用と申したはず。というより受け取れぬ。本日は八臂那多(はっぴなった)次郎神君の忌日にて、獣を害してはならぬのだが、火急のこととて狐を成敗した。無かったことにしたいのだが、礼を受けてしまっては因果が生じる」
主と手代をひきずるように従えたまま廊下を戻り、
「邪魔をした」
と一声して立ち去ってしまった。宋衛門は、黄色い護符を握ったまま店の板間に座り込んいた。
その夜、犬万に連れられて、印袢纏を羽織った屈強な町人が二人を訪ねていた。男の名は弥七。二人の住まいを世話した伏見町の大工の棟梁である。弥七は、日頃若い者の前などでは滅多に下げたことのない頭を深々と頭を下げて言った。
「手前どもは代々、扶桑屋はんの普請を受けてまいりました。つい一昨年亡くなられた先代の大旦那はんも、病の床やというのに、大雨が来て商売ものの鹿茸(ろくじょう)や人参が水浸しにでもなったらあかん。お前の裁量でいつでも普請を始めなさいとおっしゃっていただいてましたが、当代の宋衛門はんになってからというもの、しわいと申しますか、なかなか普請をしはりまへん。手前共でも、屋根を見て、いよいよ雨漏りがひどくなってきたので、これはいくらなんでもそろそろやろということで、このたび紀州へ材木を手配してしまいました。というのに、扶桑屋はんは、いくら手前共が普請を申し上げても、曖昧な返事をするばかりで。それで困りはてて、犬万の旦那に話をしましたところ、風水師の芝垣様に相談するよう、そして、首尾良く普請を請け負ったら、必ず厚く御礼をするようにとのことでした。半信半疑ではございましたが、今日、扶桑屋はんのお使いが来やはりまして...」
弥七は、そこで急に声をひそめた。
「その、何でも夜半に狐が飛び回って悪さをしたとか...」
そういいながら一度コギリの顔をうかがったが、何の反応もないので、かぶりを振って坂上に向き直り、懐に手を入れた。
「ともあれ、この度屋根の総替えいう、大きな普請を受けることができました。これは御礼にございます」
弥七は懐から、切り餅と言われる小判二十五両を懐紙に包んだものを二つ、並べて床の上に置いて坂上のほうへ押しやり、もう一度頭を下げ、そのまま帰って行った。
坂上は
「乾殿、このたびは助かりました。これはありがたく」
と言いながら切り餅を目の上に押しいただいた。犬万は、笑いながら、
「扶桑屋のためにも、かえってええことや思います。ま、これでもう狐はコン、いうことでございまんなあ」