10 Sep 2004
大石は苛立っていた。屋敷の書院の縁から眺める庭は、月に照らされた苔が昼にはない鮮やかさをみせている。いつもなら一日の労をねぎらってくれるお気に入りの景色だが、赤穂藩国家老、大石内蔵助の表情はいつまでも険しい。やがて、ふうとひとつ息を吐き出すと室内に戻り、燭台の明かりの下で今日届いたばかりの、江戸屋敷よりの書状を広げた。
「上野介様、心中ご勘気あり」
高家肝煎(こうけきもいり)の吉良上野介が、自分たちの主君である浅野内匠頭に対して怒っていると言うのである。無論その原因は主君である内匠頭にある。
このたび浅野家は、朝廷からの勅使の饗応役を拝命し、その指南役に当たっているのが吉良上野介であった。失敗すれば藩の命運を左右しかねない大役を、高家肝煎という高い身分の者が目を光らせるもとで行うのは大変だが、実は内匠頭にとって勅使饗応役は二度目であった。今から十四年前、内匠頭は当時十六歳でみごと勅使饗応役の大任を果たしているのだが、その時の指南役も同じく吉良上野介であった。そのこともあって、今回の拝命については当初大石もすっかり安心していた。
そもそも吉良家と言えば、従四位上左近衛権少将という破格の官位を持つ家柄だ。今をときめく柳沢吉保でも従四位下左近衛権少将。まして従五位下内匠頭でしかない浅野家などとは比べようもない。実際、吉良家を上回る官位を得ていたのは徳川一門と彦根藩井伊家当主、加賀藩前田家当主、そして薩摩藩島津家当主だけである。が、上野介はそれほどの身分にありながら、官位も低く、幼さの残る内匠頭をきめ細かく盛り立て、見事大任を果たさせた。江戸からの書状では、吉良上野介という人物は、一時が万事江戸の水で磨いた立ち居振る舞いが水際だった人物だった。高い身分を感じさせない物言いで、堅苦しい作法は自分も「でえっきれぇ」だと言い放ち、
「内匠頭殿におかれましては、この上野介、賓客と心得てお世話いたす所存。お国の大石殿にも、万事ご安心をとお伝え願いたい」
と、自分たち在郷の者に気を遣わせまいとする、江戸者らしい気配りを感じた。
「それに引き替え...」
大石は、浅野匠頭長矩の、いかにも都会育ちといった、聡明だが線が細く勘の強そうな顔を思い出した。赤穂藩藩主とはいえ、内匠頭は江戸生まれの江戸育ち。筆頭家老である大石と初めて顔を合わせたのさえ、内匠頭が十六歳の時。最初の勅使饗応役を終えてからのことである。そして今、江戸からの書状によれば、内匠頭は二度目の拝命ということで、すべてをわきまえているつもりになっているらしい。たまたま上野介が高家の用向きにかかりきりになっていた間に、饗応の間の襖や調度を、自分の勝手な文人趣味で見立てた墨絵に取り替えてしまうというような行動を繰り返していた。それにはさしもの上野介も心中穏やかではなく、赤穂藩江戸詰の者に、はっきりと警告を与えてきたというのだ。
前回と今回、二度の饗応役拝命の間の十四年間で、浅野家、吉良家ともに大きな変貌を遂げていた。この間赤穂藩は大石らの努力で新しい製塩法の開発に成功し、全国に向けて安くて上質な塩を販売し、名目五万三千石を、実質八万石とも十万石ともいわれるほど収入を伸ばしていた。そのことが若い内匠頭を増長させた一因なのかもしれない。
一方、吉良家の家督は四千二百石。しかも赤穂藩の成功は、旧来の製塩法に頼る他の生産地に打撃を与えており、その中には上野介の領地である三河国も含まれていたのである。しかし上野介にとっても長男が十五万石米沢藩上杉家の当主に、長女鶴姫が七十万石薩摩藩島津綱貴の側室になり、権勢はいやが上にも高まっている。両家の間には、ややもすると意地や自負が摩擦の元になりやすい状況ができている。増長どころか、以前にも増して頭を垂れ、上野介の感情を害さぬよう無事勤め上げなければならないのが今回の内匠頭の役目のはずであった。
大石は思った。自分のような田舎者は、ただ百姓や漁夫に混じって日々工夫しながら働き、相応の実りがあればそれでいいだけのこと。どことも事を荒立てたくはないし、誰をも傷つけるつもりはない。しかし、重要なことはすべて江戸で決まってしまう。そのことに忸怩たる思いを抱いたのは、これが初めてではなかった。
その夜大石を苛立たせていたのは、江戸からの書状だけではなかった。すっかり夜も更けたこの時刻に訪ねてくる者がいるのである。その男は、かれこれ十年ほど前からここを訪れていた。いつも廻船問屋の檜垣屋が差し回した籠で館の中まで入り、そのままこの書院へあがって来る。その来客は西洋人だった。着物を着、波打つ紅毛を染めて無理に髷を結ってはいたが、とにかく体が大きい。夜でなければその目の青さも目立ったことだろう。そして、草履ではなく皮で作った堅い西洋風の履物を履き、ゴトンゴトンと無神経な足音を響かせながら、大石お気に入りの庭から上がり込んでくる。
大石は当初、この異人に会うのが楽しみだった。異人は「コンテ・ド・サンジェルマン」という名だったが、大石は頭の中で漢字に置き換え、「今亭どの」と呼んでいる。故郷では伯爵の位にあったともいうが、その故郷がどこをさすのかも定かではない。
そもそも大石は、甲府の徳川家に仕える儒学者、新井白石を当代屈指の学識者として尊敬しており、書面を通じた交際があり、今亭どのとは、新井から極秘に紹介されて会った。今亭どのの知識はまさに計り知れなかった。赤穂藩で塩の製造に力を入れているといえば、すぐにこれまでの古流入浜式の効率を高める工夫を伝授してくれた。それまでは広い砂浜や夏の好天など、いくつかの条件が必要だったが、今亭殿の方法では、海にさえ近ければ、今より良質で安い塩が大量に作れた。その開発は、その後の藩の財政のためにも、できるだけ早く着手しなければならなかったが、藩には大規模開発を始めるだけの金がなかった。すると今亭殿は、廻船問屋の檜垣屋を通じてその金を用意してみせたのである。
「今亭どの、今宵はどのようなご用件で」
大石は、言葉にさりげなく迷惑さを匂わせたが、この相手には全く通じない。いつものように大きな汗ばんだ手で大石の手を掴んで振りながら、お会いしたかったです、ご機嫌はいかがでしたかというような意味のない挨拶と大げさな笑顔を向ける。どこで覚えたものか、言葉は全く違和感が無いほど達者だが、そういう立ち居振る舞いは、腹立たしいほど異人そのものだ。
一度は師とも仰いだ相手だが、今亭どのは単に進んだ知識を持つ西洋の学者というだけでなく、異人の部下を多数従えて、国内で不穏な動きをしているらしかった。
「そうそう。アサノさんを苛めるキラさん、ちょっと警告しておきました」
大石は一瞬何を言われたか分からなかった。この異人はいつも殿を「アサノさん」と呼ぶ。それだけでも顔が紅潮する思いだったのだが、キラさんとは...。
「き、吉良様に何を!」
「ちょっとだけ、脅かしてあげました。でもキラさんお年寄。だからちょっとだけ」
「もし吉良様に何かしたのなら...」
「オーイシさん心配ない。大丈夫。脅かしただけ。何もしてない。それに、誰がやったかわからないね」
そういって今亭どのは、どうだといわんばかりに、大石からの感謝の言葉を待っている。
大石は、うかつにも前回の訪問で吉良上野介様との間の確執を話してしまったことを悔やんだ。今亭どのは、吉良様に何をしたというのだろうか。無論大石はそんなことをしろと頼んだ覚えはない。だが、この怪物のような男がその気になれば相当惨いことができることを知っていた。
「と、とにかく、今後吉良様への手出しは一切無用に願いたい」
「大丈夫。キラさんおびえきっていたね。当分アサノさんどころではないよ」
案の定、今亭どのの口からは謝罪の言葉など聞けない。大石の強い非難の口調など、この異人には全く通じていないのだ。
大石は、無理に気を取り直して今亭どのに酒を勧めながら、以前から尋ねたかったことを聞いた。
「ところで、今亭どのは、いかにしてこの国へ?」
「ヴァプールの船ね。ヴァプール、この国の言葉で何と言うか。そう、湯気」
「湯気?」
「湯気をたくさん作って、ムーランにあてる。ムーラン、この国であまり見かけません。何と言うか。そうカザグンマ!」
「風車でござるか」
大石は、外国船入港が厳しく制限されている中、どうやって入国したのかを尋ねたのだが、今亭どのは乗ってきた船の仕組みを説明し始めた。大石が理解したところでは、その船には帆らしい帆がない代わりに釜で湯を沸かして湯気を作り、どこかにしかけた風車にあててまわす事で進むらしかった。湯気の勢いだけで進むなど、できたとしても相当小さな舟なのだろうが、仕組み自体は興味深く、大石は、それまで感じていた不快感や懸念も忘れて、話に聞き入りはじめた。今亭どのによれば、ヴァプールの船とは大石が想像したような小舟ではなく、大海を高速で渡りきる大型船のことらしかった。今亭どのは、そのヴァプールの船で「ヌーベルモンド」を出航し、数年かけていくつもの国を経て、この国にやってきたという。
「ヌーベルモンド、判りますか、ニューワールド。エゲレスでもない、スペインでもない、まだ誰のものでもない新しい土地、アメリカ!」
今亭どのは「誰のものでもない」という箇所で特に声に力を込め、手をひらめかせてみせた。
日頃、絶えず歯を見せてへらへらと笑っているように見える今亭どのだが、その瞬間だけ唇を結んで虚空を睨みつけていた。が、大石はそんな表情には気付かず、赤穂の塩を積んだ何隻ものヴァプールの船が、大阪や江戸と行き来するという、自分なりの夢想に浸っていた。
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赤穂の塩が吉良家所領の製塩業を圧迫した、というのは以前NHKの歴史番組で見てからずっと信じていたのだが、最近の研究で、吉良家の所領では製塩を行っていなかったことが判明したらしい。蒸気機関はワットの発明(1769)以前にもあった。船を動かせるほどのものではなかっただろうが。
「上野介様、心中ご勘気あり」
高家肝煎(こうけきもいり)の吉良上野介が、自分たちの主君である浅野内匠頭に対して怒っていると言うのである。無論その原因は主君である内匠頭にある。
このたび浅野家は、朝廷からの勅使の饗応役を拝命し、その指南役に当たっているのが吉良上野介であった。失敗すれば藩の命運を左右しかねない大役を、高家肝煎という高い身分の者が目を光らせるもとで行うのは大変だが、実は内匠頭にとって勅使饗応役は二度目であった。今から十四年前、内匠頭は当時十六歳でみごと勅使饗応役の大任を果たしているのだが、その時の指南役も同じく吉良上野介であった。そのこともあって、今回の拝命については当初大石もすっかり安心していた。
そもそも吉良家と言えば、従四位上左近衛権少将という破格の官位を持つ家柄だ。今をときめく柳沢吉保でも従四位下左近衛権少将。まして従五位下内匠頭でしかない浅野家などとは比べようもない。実際、吉良家を上回る官位を得ていたのは徳川一門と彦根藩井伊家当主、加賀藩前田家当主、そして薩摩藩島津家当主だけである。が、上野介はそれほどの身分にありながら、官位も低く、幼さの残る内匠頭をきめ細かく盛り立て、見事大任を果たさせた。江戸からの書状では、吉良上野介という人物は、一時が万事江戸の水で磨いた立ち居振る舞いが水際だった人物だった。高い身分を感じさせない物言いで、堅苦しい作法は自分も「でえっきれぇ」だと言い放ち、
「内匠頭殿におかれましては、この上野介、賓客と心得てお世話いたす所存。お国の大石殿にも、万事ご安心をとお伝え願いたい」
と、自分たち在郷の者に気を遣わせまいとする、江戸者らしい気配りを感じた。
「それに引き替え...」
大石は、浅野匠頭長矩の、いかにも都会育ちといった、聡明だが線が細く勘の強そうな顔を思い出した。赤穂藩藩主とはいえ、内匠頭は江戸生まれの江戸育ち。筆頭家老である大石と初めて顔を合わせたのさえ、内匠頭が十六歳の時。最初の勅使饗応役を終えてからのことである。そして今、江戸からの書状によれば、内匠頭は二度目の拝命ということで、すべてをわきまえているつもりになっているらしい。たまたま上野介が高家の用向きにかかりきりになっていた間に、饗応の間の襖や調度を、自分の勝手な文人趣味で見立てた墨絵に取り替えてしまうというような行動を繰り返していた。それにはさしもの上野介も心中穏やかではなく、赤穂藩江戸詰の者に、はっきりと警告を与えてきたというのだ。
前回と今回、二度の饗応役拝命の間の十四年間で、浅野家、吉良家ともに大きな変貌を遂げていた。この間赤穂藩は大石らの努力で新しい製塩法の開発に成功し、全国に向けて安くて上質な塩を販売し、名目五万三千石を、実質八万石とも十万石ともいわれるほど収入を伸ばしていた。そのことが若い内匠頭を増長させた一因なのかもしれない。
一方、吉良家の家督は四千二百石。しかも赤穂藩の成功は、旧来の製塩法に頼る他の生産地に打撃を与えており、その中には上野介の領地である三河国も含まれていたのである。しかし上野介にとっても長男が十五万石米沢藩上杉家の当主に、長女鶴姫が七十万石薩摩藩島津綱貴の側室になり、権勢はいやが上にも高まっている。両家の間には、ややもすると意地や自負が摩擦の元になりやすい状況ができている。増長どころか、以前にも増して頭を垂れ、上野介の感情を害さぬよう無事勤め上げなければならないのが今回の内匠頭の役目のはずであった。
大石は思った。自分のような田舎者は、ただ百姓や漁夫に混じって日々工夫しながら働き、相応の実りがあればそれでいいだけのこと。どことも事を荒立てたくはないし、誰をも傷つけるつもりはない。しかし、重要なことはすべて江戸で決まってしまう。そのことに忸怩たる思いを抱いたのは、これが初めてではなかった。
その夜大石を苛立たせていたのは、江戸からの書状だけではなかった。すっかり夜も更けたこの時刻に訪ねてくる者がいるのである。その男は、かれこれ十年ほど前からここを訪れていた。いつも廻船問屋の檜垣屋が差し回した籠で館の中まで入り、そのままこの書院へあがって来る。その来客は西洋人だった。着物を着、波打つ紅毛を染めて無理に髷を結ってはいたが、とにかく体が大きい。夜でなければその目の青さも目立ったことだろう。そして、草履ではなく皮で作った堅い西洋風の履物を履き、ゴトンゴトンと無神経な足音を響かせながら、大石お気に入りの庭から上がり込んでくる。
大石は当初、この異人に会うのが楽しみだった。異人は「コンテ・ド・サンジェルマン」という名だったが、大石は頭の中で漢字に置き換え、「今亭どの」と呼んでいる。故郷では伯爵の位にあったともいうが、その故郷がどこをさすのかも定かではない。
そもそも大石は、甲府の徳川家に仕える儒学者、新井白石を当代屈指の学識者として尊敬しており、書面を通じた交際があり、今亭どのとは、新井から極秘に紹介されて会った。今亭どのの知識はまさに計り知れなかった。赤穂藩で塩の製造に力を入れているといえば、すぐにこれまでの古流入浜式の効率を高める工夫を伝授してくれた。それまでは広い砂浜や夏の好天など、いくつかの条件が必要だったが、今亭殿の方法では、海にさえ近ければ、今より良質で安い塩が大量に作れた。その開発は、その後の藩の財政のためにも、できるだけ早く着手しなければならなかったが、藩には大規模開発を始めるだけの金がなかった。すると今亭殿は、廻船問屋の檜垣屋を通じてその金を用意してみせたのである。
「今亭どの、今宵はどのようなご用件で」
大石は、言葉にさりげなく迷惑さを匂わせたが、この相手には全く通じない。いつものように大きな汗ばんだ手で大石の手を掴んで振りながら、お会いしたかったです、ご機嫌はいかがでしたかというような意味のない挨拶と大げさな笑顔を向ける。どこで覚えたものか、言葉は全く違和感が無いほど達者だが、そういう立ち居振る舞いは、腹立たしいほど異人そのものだ。
一度は師とも仰いだ相手だが、今亭どのは単に進んだ知識を持つ西洋の学者というだけでなく、異人の部下を多数従えて、国内で不穏な動きをしているらしかった。
「そうそう。アサノさんを苛めるキラさん、ちょっと警告しておきました」
大石は一瞬何を言われたか分からなかった。この異人はいつも殿を「アサノさん」と呼ぶ。それだけでも顔が紅潮する思いだったのだが、キラさんとは...。
「き、吉良様に何を!」
「ちょっとだけ、脅かしてあげました。でもキラさんお年寄。だからちょっとだけ」
「もし吉良様に何かしたのなら...」
「オーイシさん心配ない。大丈夫。脅かしただけ。何もしてない。それに、誰がやったかわからないね」
そういって今亭どのは、どうだといわんばかりに、大石からの感謝の言葉を待っている。
大石は、うかつにも前回の訪問で吉良上野介様との間の確執を話してしまったことを悔やんだ。今亭どのは、吉良様に何をしたというのだろうか。無論大石はそんなことをしろと頼んだ覚えはない。だが、この怪物のような男がその気になれば相当惨いことができることを知っていた。
「と、とにかく、今後吉良様への手出しは一切無用に願いたい」
「大丈夫。キラさんおびえきっていたね。当分アサノさんどころではないよ」
案の定、今亭どのの口からは謝罪の言葉など聞けない。大石の強い非難の口調など、この異人には全く通じていないのだ。
大石は、無理に気を取り直して今亭どのに酒を勧めながら、以前から尋ねたかったことを聞いた。
「ところで、今亭どのは、いかにしてこの国へ?」
「ヴァプールの船ね。ヴァプール、この国の言葉で何と言うか。そう、湯気」
「湯気?」
「湯気をたくさん作って、ムーランにあてる。ムーラン、この国であまり見かけません。何と言うか。そうカザグンマ!」
「風車でござるか」
大石は、外国船入港が厳しく制限されている中、どうやって入国したのかを尋ねたのだが、今亭どのは乗ってきた船の仕組みを説明し始めた。大石が理解したところでは、その船には帆らしい帆がない代わりに釜で湯を沸かして湯気を作り、どこかにしかけた風車にあててまわす事で進むらしかった。湯気の勢いだけで進むなど、できたとしても相当小さな舟なのだろうが、仕組み自体は興味深く、大石は、それまで感じていた不快感や懸念も忘れて、話に聞き入りはじめた。今亭どのによれば、ヴァプールの船とは大石が想像したような小舟ではなく、大海を高速で渡りきる大型船のことらしかった。今亭どのは、そのヴァプールの船で「ヌーベルモンド」を出航し、数年かけていくつもの国を経て、この国にやってきたという。
「ヌーベルモンド、判りますか、ニューワールド。エゲレスでもない、スペインでもない、まだ誰のものでもない新しい土地、アメリカ!」
今亭どのは「誰のものでもない」という箇所で特に声に力を込め、手をひらめかせてみせた。
日頃、絶えず歯を見せてへらへらと笑っているように見える今亭どのだが、その瞬間だけ唇を結んで虚空を睨みつけていた。が、大石はそんな表情には気付かず、赤穂の塩を積んだ何隻ものヴァプールの船が、大阪や江戸と行き来するという、自分なりの夢想に浸っていた。
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赤穂の塩が吉良家所領の製塩業を圧迫した、というのは以前NHKの歴史番組で見てからずっと信じていたのだが、最近の研究で、吉良家の所領では製塩を行っていなかったことが判明したらしい。蒸気機関はワットの発明(1769)以前にもあった。船を動かせるほどのものではなかっただろうが。