28 Feb 2006
「こういう庭はいいね。普通の松にありきたりの灯篭だが、掃除が行き届いてて。侘びの工夫を凝らしたようなのは好かんなあ」
高麗屋の騒動から数日後、坂上高野とコギリの二人は、大阪西町奉行所内の役宅に移り住んでいた。奉行所の敷地は広く、いわゆるお白洲のある本館のほか、弓や武術の稽古場、馬場まであり、家来衆の役宅も並んでいる。二人は西町奉行氷見和泉守のたっての勧めでその中の一軒を借りていた。奉行には、便宜を図るという以上に、側において監視する意味もあるらしかった。そんな思惑も坂上には関係なく、すっかりくつろいで居間に寝そべったまま庭を眺め、独り言ともつかない呑気な話をしている。一方、武家屋敷に住んだ経験の無いコギリは、無用に広いとしか思えない居間がいささか落ち着かず、坂上ほどくつろいだ気分にはなれなかった。コギリの関心はもっぱら奥の稽古場だ。もともと体を動かし術を工夫するのが好きで、忍びの修行も苦にならなかったほどなので、来た早々、奉行所の同世代の若い同心たちが道場稽古に誘ってくれたのがうれしくてしかたがない。坂上ののんびりした話にほどほどの相槌を打ちながら、あれこれ技の工夫に思いを馳せていた。
征夷軍監とは、征夷大将軍を補佐するため朝廷から任じられる武官職である。坂上(さかのうえ)氏は、平安時代に征夷大将軍として蝦夷征伐で名をはせた坂上田村麻呂を祖先に持ち、遠くは漢の高祖に発するとも言われる名家である。が、傍流の出である高野にはそれほどの権威はない。徳川幕藩体制に組み込まれない公家とも武士ともつかない立場で、若い頃は同じく士農工商の枠外に生きる旅芸人や侠客たちに混じって暮らしたこともあった。ただ、田村麻呂の縁もあってか、蝦夷地の事情にも通じており、最近、蝦夷地で密かに異人が訪れては不穏な動きを見せているとの情報を、時の朝廷の支配者である霊元上皇に奏上し、調査と解決のために征夷軍監職を命じられたのである。とはいえ何百年も置かれたことのない職であり、徳川の世ではどれほどの地位なのかもはっきりしない。西町奉行がそんな軍監職を知っていたのも朝廷になじみが深い上方ならばこそのことで、江戸なら何のことか分からなかったかもしれない。
「朝廷のお心にあるのは、異人騒動ばかりではないようなのだ」
坂上が尻を向けたままそう言うのを聞き、コギリは床の間を見た。そこには大仰な金具を打ち、黄色い護符を貼った鎧櫃がある。中に入っているのは高麗屋騒動で坂上が身につけていた唐風の甲冑である。清国の方術師が百と八人がかりで、天こう三十六、地さつ七十二の術をかけた破邪顕正の鎧と言われる。また、坂上が剣の代わりに振るっていた四角い鉄棒も、本来は天蓬尺という方術の道具で、四面にそれぞれ二十七宿曜の名と、北斗七星・南斗六星の図が刻まれている。ともに霊元上皇から賜わったもので、どちらも実戦での実用性より、方術の道具としての意味が大きい。
「朝廷は妖異、怪異を気に留めておられるのかもしれない。そんなものは、わしにはやにわに信じられんのだが、先日のあれを見てはなあ。あるいはという気もする」
コギリは高麗屋の騒動以来気になっていた件を尋ねてみた。
「その、妖怪変化が現れた際には、どのように戦えばよいので...」
「分からん、皆目」
上皇から命を受けるほどだから、坂上にはそれなりに対応の術があるに違いない。てっきりそう思い込んでいたコギリの思惑は外れた。
「妖怪どころか神仏だって本当におわすものかどうか、と思うとるほうだからな。大体霊だの何だのを口にするのはイカサマばかりだからなあ」
その点はコギリも同感だったが、周到な準備をして仕事にかかる忍びとしては、どうにも落ち着かない。が、主君に仕えるというのはそういうものらしい。命ずるほうも拝命するほうも、何をどうしてよいかわからないのだが、一旦下ってしまえば主命は主命。命に代えても果たさなければならない。そのことが坂上にしてみれば、どうせ誰も何も分からんのだから、あくせくしても仕方がないということになるらしい。
「ま、自分がどこに行くか知らぬ者ほど遠くへ行ける、とも言うからな。頼りにしとるぞ、須藤殿」
坂上はコギリを部下として奉行所に紹介する際、一応武士ということにしていた。須藤兵馬という名前は、以前コギリが倒したある侍のもので、時折仮名に使ってきたものである。コギリがその名前を名乗るようになったのは、以前とある屋形への忍び込みを行った時以来だ。その日はなぜか途中で潜入が発覚し追手がかかったが、ほとんどを撒いてもうすぐ逃げおおせるという時に、抜け目なく追いついてきた侍がいた。侍は、コギリの体術が優れているのを知ると、追っ手を呼ぶこともせず、改めて名乗りを上げて尋常の勝負を仕掛けてきた。勝負はかろうじてコギリが勝ち、大小とともに侍の名も盗んだのである。
使命をしくじったとあれば、戻っても死の制裁が待っている。忍びの里は、コギリが赤子の時分におそらくはかどわかされて来て以来、故郷と呼べる唯一の場所ではあったが、そのまま戻らず抜ける決心をした。その後しばらく須藤兵馬の名で武者修行者たちに混じっていくつかの国を渡り歩いた。太平の世になり、戦場働きでの立身出世が見込めなくなってなお武芸の道を歩む武者修行者というのは、いささか愚かだが単純な生き方で、コギリの性に合っていた。仕官を果たすとか道場を開くと言うような野心もないまま、武家屋敷に渡り中間として勤めてみたり、商家の用心棒をしたりしながら大阪に流れ着いたのである。大阪では、武者修行者の口利きで闇社会から忍び仕事の依頼を受けた。それが高麗屋への潜入である。その仕事を依頼した主は、他ならぬ坂上だったというのはここに着いてから聞かされた。コギリにとっては、ここ数日の面食らうばかりだったさまざまな出来事も、坂上から見ればそれなりに筋書きの通ったことだったらしい。
「それはもう、なんともはや、面妖なことでござりますなあ」
居間にはもう一人、何とも奇妙な男がいて、上方訛りの緊張感の無い声を上げた。元西町奉行所同心、乾(いぬい)万蔵、通称「鬼の犬万」。六十を超える高齢だが、緋一色の派手な着流しに、背中に大きく「御用」の文字を背負うという奇怪ないでたち。家族も跡継ぎもないのに早くに隠居届けを出し、そのくせ十手は返上せず、現役時代と変わらず毎日市中を見回って歩く。町方時代も手柄を立て出世することには興味が無く、代わりに喧嘩の仲裁や若い者のイタズラに目を光らせていた。小さな悪の芽のうち摘めば、大きな事件も起こらないという考えだったが、隠居した上は、それまで組織の縛りがあってなかなかできなかったことを、存分にしてやろうということらしい。現役時代と同様に毎朝奉行所に出向いてきては、後輩同心たちから少々煙たがられていたのだが、なにやら事情ありげな二人が役宅に転がり込んだと聞いてからは、毎日のぞきに来て、すっかりなじんでしまっている。
そんな万蔵であるから、高麗屋についても別な情報があった。二代めの主の貞一は、素材を偽って料理を出していただけでなく、店に来る要人を相手に、なにやら大それたことを行おうとしていたらしいという。坂上が高麗屋にコギリを忍び込ませたのも、その大それたことに関係があるらしかった。
万蔵は、老成とか、歳を重ねた風格というようなものとは無縁の男だ。とにかくよく喋る。坂上とコギリの会話が途切れると、すぐに割り込んで来て、それがいかにも上方者らしく大げさでくすぐりたっぷり。いつまで喋っていても途切ることがなく、始めのうちこそ御用に関わる話だが、しまいに大阪の名所遊山の評判記のようになってしまう。もっとも万蔵に言わせれば、そういう小さな市中の情報こそ、町方が日頃心得ておかねばならないもの、ということになるらしい。そんな具合だから、話題は先刻から評判の饅頭がいかにうまいかということに変わっていた。
「そこのお饅は、もう皮が薄うて、その中にきつきつに餡が詰まってましてな」
「ほお、さよか。ではこれで」
あやふやな相槌を打っていた坂上も、そこでつい上方訛り言葉になり、成り行き上懐から小粒をつまんで万蔵に渡した。
万蔵は、大げさに額におしいただいて受け取ると、それが合図ででもあるかのように、
「ほな須藤はん、参りましょか」
とコギリと連れ立って、このところ日課になっている、大阪の市中めぐりに出かけた。
忍びというのは決して奇麗事で済む仕事ではないのだが、世故に長けた万蔵から見ると、その世界しか知らないコギリはある種の世間知らずに見えるらしい。隠密御用の心得指南とかでコギリを引き連れ、どこの饅頭がうまいとか、誰と誰が親戚であるとか、歩きながら話して聞かせるのが日課のようになってしまった。
目当ての饅頭屋に着くと、万蔵は年老いた主人に商売や体の具合をたずね、多めの銭を置き、主人が両手をあわせるのを背にして店を出た。これが酒屋や呉服屋などの大店に立ち寄ったときは、茶に茶菓子、昼時には飯に酒、時には手ぬぐい、足袋、床屋代まで出させるというタカリっぷりなのだが、そういうところでも不思議と歓迎されている。
だが、歓迎する者ばかりではない。店を出た時、
「死ねやあああ、犬万!」
と叫んで、若い遊び人風の男が突然短刀を抱え、万蔵の背中めがけて突っ込んできた。が、コギリが間に入る暇もなく、万蔵は体をひねって切っ先をかわし、十手ではって若造の頭に二つ三つ瘤をこしらえると、元結(もっとい)をつかんで一回転させ、後ろ手に十手を差し込んでからめ上げ、地面に押し倒す。この珍妙な年寄りの姿からは想像もつかない、十手術の型どおりの鮮やかな動きだ。万蔵はそこで自分の懐を探るが、隠居して以来、かぎ縄を持ち歩いていないことに気づく。一瞬思案顔をしたが、すぐに腰帯をつかんで若造を中腰に浮かせ、尻を蹴って堀に放り込んでしまった。
「ふん、今日び犬に手ぇ掛けるんはご法度やで」
その日万蔵はコギリと一緒にいる間に、一度命を狙われ、三度拝まれた。
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同心が捕り物に使う十手は、時代劇に出てくるような小さなものではなく、長さ30センチはある長い鉄の棒。斬りつけてくる刀を払い落とせるくらい堅牢にできている。とはいえ、合戦での武勲と違い首尾良く犯人を捕らえても、所領が増えるわけでもなんでもないのだから、捕まったら獄門さらし首とばかりに、無我夢中で刃物を振り回す相手は怖い。そこで江戸町方十手術には、最初に「破邪顕正」と唱えながら十手で印を切り、最後に「アブラウンケン」と唱える所作がある。自分が正義を行うのであって、神仏に守られていると、自分に言い聞かせたのである。
高麗屋の騒動から数日後、坂上高野とコギリの二人は、大阪西町奉行所内の役宅に移り住んでいた。奉行所の敷地は広く、いわゆるお白洲のある本館のほか、弓や武術の稽古場、馬場まであり、家来衆の役宅も並んでいる。二人は西町奉行氷見和泉守のたっての勧めでその中の一軒を借りていた。奉行には、便宜を図るという以上に、側において監視する意味もあるらしかった。そんな思惑も坂上には関係なく、すっかりくつろいで居間に寝そべったまま庭を眺め、独り言ともつかない呑気な話をしている。一方、武家屋敷に住んだ経験の無いコギリは、無用に広いとしか思えない居間がいささか落ち着かず、坂上ほどくつろいだ気分にはなれなかった。コギリの関心はもっぱら奥の稽古場だ。もともと体を動かし術を工夫するのが好きで、忍びの修行も苦にならなかったほどなので、来た早々、奉行所の同世代の若い同心たちが道場稽古に誘ってくれたのがうれしくてしかたがない。坂上ののんびりした話にほどほどの相槌を打ちながら、あれこれ技の工夫に思いを馳せていた。
征夷軍監とは、征夷大将軍を補佐するため朝廷から任じられる武官職である。坂上(さかのうえ)氏は、平安時代に征夷大将軍として蝦夷征伐で名をはせた坂上田村麻呂を祖先に持ち、遠くは漢の高祖に発するとも言われる名家である。が、傍流の出である高野にはそれほどの権威はない。徳川幕藩体制に組み込まれない公家とも武士ともつかない立場で、若い頃は同じく士農工商の枠外に生きる旅芸人や侠客たちに混じって暮らしたこともあった。ただ、田村麻呂の縁もあってか、蝦夷地の事情にも通じており、最近、蝦夷地で密かに異人が訪れては不穏な動きを見せているとの情報を、時の朝廷の支配者である霊元上皇に奏上し、調査と解決のために征夷軍監職を命じられたのである。とはいえ何百年も置かれたことのない職であり、徳川の世ではどれほどの地位なのかもはっきりしない。西町奉行がそんな軍監職を知っていたのも朝廷になじみが深い上方ならばこそのことで、江戸なら何のことか分からなかったかもしれない。
「朝廷のお心にあるのは、異人騒動ばかりではないようなのだ」
坂上が尻を向けたままそう言うのを聞き、コギリは床の間を見た。そこには大仰な金具を打ち、黄色い護符を貼った鎧櫃がある。中に入っているのは高麗屋騒動で坂上が身につけていた唐風の甲冑である。清国の方術師が百と八人がかりで、天こう三十六、地さつ七十二の術をかけた破邪顕正の鎧と言われる。また、坂上が剣の代わりに振るっていた四角い鉄棒も、本来は天蓬尺という方術の道具で、四面にそれぞれ二十七宿曜の名と、北斗七星・南斗六星の図が刻まれている。ともに霊元上皇から賜わったもので、どちらも実戦での実用性より、方術の道具としての意味が大きい。
「朝廷は妖異、怪異を気に留めておられるのかもしれない。そんなものは、わしにはやにわに信じられんのだが、先日のあれを見てはなあ。あるいはという気もする」
コギリは高麗屋の騒動以来気になっていた件を尋ねてみた。
「その、妖怪変化が現れた際には、どのように戦えばよいので...」
「分からん、皆目」
上皇から命を受けるほどだから、坂上にはそれなりに対応の術があるに違いない。てっきりそう思い込んでいたコギリの思惑は外れた。
「妖怪どころか神仏だって本当におわすものかどうか、と思うとるほうだからな。大体霊だの何だのを口にするのはイカサマばかりだからなあ」
その点はコギリも同感だったが、周到な準備をして仕事にかかる忍びとしては、どうにも落ち着かない。が、主君に仕えるというのはそういうものらしい。命ずるほうも拝命するほうも、何をどうしてよいかわからないのだが、一旦下ってしまえば主命は主命。命に代えても果たさなければならない。そのことが坂上にしてみれば、どうせ誰も何も分からんのだから、あくせくしても仕方がないということになるらしい。
「ま、自分がどこに行くか知らぬ者ほど遠くへ行ける、とも言うからな。頼りにしとるぞ、須藤殿」
坂上はコギリを部下として奉行所に紹介する際、一応武士ということにしていた。須藤兵馬という名前は、以前コギリが倒したある侍のもので、時折仮名に使ってきたものである。コギリがその名前を名乗るようになったのは、以前とある屋形への忍び込みを行った時以来だ。その日はなぜか途中で潜入が発覚し追手がかかったが、ほとんどを撒いてもうすぐ逃げおおせるという時に、抜け目なく追いついてきた侍がいた。侍は、コギリの体術が優れているのを知ると、追っ手を呼ぶこともせず、改めて名乗りを上げて尋常の勝負を仕掛けてきた。勝負はかろうじてコギリが勝ち、大小とともに侍の名も盗んだのである。
使命をしくじったとあれば、戻っても死の制裁が待っている。忍びの里は、コギリが赤子の時分におそらくはかどわかされて来て以来、故郷と呼べる唯一の場所ではあったが、そのまま戻らず抜ける決心をした。その後しばらく須藤兵馬の名で武者修行者たちに混じっていくつかの国を渡り歩いた。太平の世になり、戦場働きでの立身出世が見込めなくなってなお武芸の道を歩む武者修行者というのは、いささか愚かだが単純な生き方で、コギリの性に合っていた。仕官を果たすとか道場を開くと言うような野心もないまま、武家屋敷に渡り中間として勤めてみたり、商家の用心棒をしたりしながら大阪に流れ着いたのである。大阪では、武者修行者の口利きで闇社会から忍び仕事の依頼を受けた。それが高麗屋への潜入である。その仕事を依頼した主は、他ならぬ坂上だったというのはここに着いてから聞かされた。コギリにとっては、ここ数日の面食らうばかりだったさまざまな出来事も、坂上から見ればそれなりに筋書きの通ったことだったらしい。
「それはもう、なんともはや、面妖なことでござりますなあ」
居間にはもう一人、何とも奇妙な男がいて、上方訛りの緊張感の無い声を上げた。元西町奉行所同心、乾(いぬい)万蔵、通称「鬼の犬万」。六十を超える高齢だが、緋一色の派手な着流しに、背中に大きく「御用」の文字を背負うという奇怪ないでたち。家族も跡継ぎもないのに早くに隠居届けを出し、そのくせ十手は返上せず、現役時代と変わらず毎日市中を見回って歩く。町方時代も手柄を立て出世することには興味が無く、代わりに喧嘩の仲裁や若い者のイタズラに目を光らせていた。小さな悪の芽のうち摘めば、大きな事件も起こらないという考えだったが、隠居した上は、それまで組織の縛りがあってなかなかできなかったことを、存分にしてやろうということらしい。現役時代と同様に毎朝奉行所に出向いてきては、後輩同心たちから少々煙たがられていたのだが、なにやら事情ありげな二人が役宅に転がり込んだと聞いてからは、毎日のぞきに来て、すっかりなじんでしまっている。
そんな万蔵であるから、高麗屋についても別な情報があった。二代めの主の貞一は、素材を偽って料理を出していただけでなく、店に来る要人を相手に、なにやら大それたことを行おうとしていたらしいという。坂上が高麗屋にコギリを忍び込ませたのも、その大それたことに関係があるらしかった。
万蔵は、老成とか、歳を重ねた風格というようなものとは無縁の男だ。とにかくよく喋る。坂上とコギリの会話が途切れると、すぐに割り込んで来て、それがいかにも上方者らしく大げさでくすぐりたっぷり。いつまで喋っていても途切ることがなく、始めのうちこそ御用に関わる話だが、しまいに大阪の名所遊山の評判記のようになってしまう。もっとも万蔵に言わせれば、そういう小さな市中の情報こそ、町方が日頃心得ておかねばならないもの、ということになるらしい。そんな具合だから、話題は先刻から評判の饅頭がいかにうまいかということに変わっていた。
「そこのお饅は、もう皮が薄うて、その中にきつきつに餡が詰まってましてな」
「ほお、さよか。ではこれで」
あやふやな相槌を打っていた坂上も、そこでつい上方訛り言葉になり、成り行き上懐から小粒をつまんで万蔵に渡した。
万蔵は、大げさに額におしいただいて受け取ると、それが合図ででもあるかのように、
「ほな須藤はん、参りましょか」
とコギリと連れ立って、このところ日課になっている、大阪の市中めぐりに出かけた。
忍びというのは決して奇麗事で済む仕事ではないのだが、世故に長けた万蔵から見ると、その世界しか知らないコギリはある種の世間知らずに見えるらしい。隠密御用の心得指南とかでコギリを引き連れ、どこの饅頭がうまいとか、誰と誰が親戚であるとか、歩きながら話して聞かせるのが日課のようになってしまった。
目当ての饅頭屋に着くと、万蔵は年老いた主人に商売や体の具合をたずね、多めの銭を置き、主人が両手をあわせるのを背にして店を出た。これが酒屋や呉服屋などの大店に立ち寄ったときは、茶に茶菓子、昼時には飯に酒、時には手ぬぐい、足袋、床屋代まで出させるというタカリっぷりなのだが、そういうところでも不思議と歓迎されている。
だが、歓迎する者ばかりではない。店を出た時、
「死ねやあああ、犬万!」
と叫んで、若い遊び人風の男が突然短刀を抱え、万蔵の背中めがけて突っ込んできた。が、コギリが間に入る暇もなく、万蔵は体をひねって切っ先をかわし、十手ではって若造の頭に二つ三つ瘤をこしらえると、元結(もっとい)をつかんで一回転させ、後ろ手に十手を差し込んでからめ上げ、地面に押し倒す。この珍妙な年寄りの姿からは想像もつかない、十手術の型どおりの鮮やかな動きだ。万蔵はそこで自分の懐を探るが、隠居して以来、かぎ縄を持ち歩いていないことに気づく。一瞬思案顔をしたが、すぐに腰帯をつかんで若造を中腰に浮かせ、尻を蹴って堀に放り込んでしまった。
「ふん、今日び犬に手ぇ掛けるんはご法度やで」
その日万蔵はコギリと一緒にいる間に、一度命を狙われ、三度拝まれた。
**************************************
同心が捕り物に使う十手は、時代劇に出てくるような小さなものではなく、長さ30センチはある長い鉄の棒。斬りつけてくる刀を払い落とせるくらい堅牢にできている。とはいえ、合戦での武勲と違い首尾良く犯人を捕らえても、所領が増えるわけでもなんでもないのだから、捕まったら獄門さらし首とばかりに、無我夢中で刃物を振り回す相手は怖い。そこで江戸町方十手術には、最初に「破邪顕正」と唱えながら十手で印を切り、最後に「アブラウンケン」と唱える所作がある。自分が正義を行うのであって、神仏に守られていると、自分に言い聞かせたのである。